上野の駅撮り (2006.02.25)
昔のネガをおこしてみると、特に高1の頃は上野、東京などでしょっちゅう駅撮りをしていた時期がありました。記録をみると1975年の10月から11月の間に4回くらい行っていたようです。
当時上野は東北、上信越、常磐方面などからの終着駅でとても賑わっていましたし、独特の旅情、風情がありました。まあそんなことにはお構いなしに到着する列車を取っていたわけですが、まずは電車特急編を。
1975年は3月のダイヤ改正で東海道山陽新幹線が博多まで開業した年、そして北海道でSLの営業運転が終焉を迎えた年でした。当時上野は在来線の特急列車の一大ターミナルでした。上越、東北新幹線が開通するまでの最後の華やかだった時代だったと思います。181系はもう引退間近でしたが、かつてはこだまとして東海道線を走っていた車輌で、最後はときとして上野-新潟を走っていました。上越線を走るようになったため151系の頃に比べて耐寒仕様になり、ボンネットに赤いはちまきをしています。また東海道時代についていた運転席上部のヘッドライトは撤去されています。後継として183系がありますが、先頭車がボンネット形状から切妻型になり、後の特急の標準型となりました。
東北本線は黒磯で直流から交流に切り替わるので485系の交直型電車が主体でした。ボンネット型は181とはちまきのパターンが異なり、ひげと呼ばれていました。上野-青森間がはつかり、盛岡行きがやまびこ、仙台がひばりで、特にひばりはL特急といって、パターン化したダイヤで自由席があり、往復本数が多いのを売りにして1日何往復も走っていました。また583系の寝台電車もはつかりやみちのく(常磐線経由)として昼も座席を使用して運用されていました。
当時奥羽本線はまだ全線電化はされてなかったので、秋田行きの特急は181系気動車のつばさでした。
信越線は碓氷峠があるためにEF63との協調運転機能の付いた189系でした。あさまが長野まで行っていましたが、金沢(福井?)まで走る白山(信越本線経由)とはくたか(上越線経由)は北陸本線が交流のため交直型の489系でした。あさまも共通運用でたまに489ボンネットのあさまも走っていました。当時はくたかは上野8:08発金沢着が14:35でした。ちょうど中学を卒業したときに友達と北陸に旅行に行きそのとき乗ったのがはくたかだったので、この時刻だけはいまだにはっきりと覚えています。
他にもやまばと、あいづ、吾妻線を走っていた白根や、常磐線のひたち、羽越線経由秋田行きのいなほ等が走っていました。夜行では電車寝台のゆうづる(常磐線経由)、はくつる(東北本線経由)や20系のあけぼのなどが走っていました。また特急の陰に隠れていましたが、その他にもたくさんの急行電車、気動車や(実際にはこちらによく乗っていましたがあいにく写真があまりありません)、旧型電機なども走っており、バラエティに富んだ列車たちをみることができて結構好きでした。
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