過去の話 3 (2006.01-2006.04) 索引に戻る
2006.04.27 学会活動
2006.04.20 ビールの話
2006.04.13 趣味の話 7
2006.04.06 ケミカルピーリング
2006.03.30 面接
2006.03.23 アトピーと食物
2006.03.16 イチゴ狩り
2006.03.09 スギによる皮膚炎
2006.03.02 パソコンと私 3
2006.02.23 標榜科
2006.02.16 パソコンと私 2
2006.02.09 パソコンと私 1
2006.02.02 おむつかぶれ?
2006.01.26 しもやけ
2006.01.19 趣味の話 6
2006.01.12 帯状疱疹
2006.01.05 患者様
学会活動 (2006.04.27)
病院勤務の時は、後輩を指導して学会発表をさせたり論文書きの指導をしていました。勿論自分でも少々書いていました。特に前の病院の時はアレルギー関係の学会で発表していかないと非常に肩身が狭かったので、常に何らかの基礎、臨床研究をして成果をまとめていきました。開業したらそのような責務がなくなりある意味楽になりましたが、逆に最新の情報を得る機会も減ってしまいます。新しい情報を得るには論文を読んだり、学会や研究会でいろいろな発表を聞くのが手っ取り早い方法です。今までいろいろな会に首を突っ込んでいたために、それらの会に全部出席すると土日がほとんどつぶれてしまいますし、年会費だけでも20万円以上かかり
馬鹿にならない出費です。それに学会が土曜日の診療日と重なってしまうと休診にして行かなければならないので、土曜日に通院している皆さんの利便性にも影響が出ます。でも本当に興味のあるものはやはり出席したいので、休診の際はご協力を。
あと、よくみかけるクリニックの広告で「○○学会、△△学会、□□学会所属」という肩書きを見かけますが、あれは基本的には医師であれば年会費さえ払えば会員になれるものがほとんどです。認定専門医を持っているとか、評議員や幹事、理事になっているというのはそれぞれの学会の中で中心的な活動をしているということで意味がありますが。あと「○○学会で成果を報告した。」というのも見かけますが、発表した内容は実はおそまつでけちょんけちょんに否定されたようなものも中にはあります。論文の場合には通常編集委員会で内容を吟味しますので、論文になっているものはある程度信頼できると思います。そういう視点で医院の広告を見るのも結構面白いですよ。
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ビールの話 (2006.04.20)
タバコはある時からぴたっとやめてしまいましたが、酒は(たぶん)やめられないでしょう。父も祖父も晩酌をする人だったのでそれを見て育ったためか、20マイナス○歳の頃から飲んでいました。
ビールに関していえば以前はA社のドライが好きでしたが、ドイツで向こうのビールをさんざん飲んで帰ってきたら、A社のはまずく感じるようになってしまいました。それとビールは麦芽とホップのみで作られなければいけないというドイツ人のこだわりを聞いてからは、今はもっぱらEビールを愛飲しています。最近見かける発泡酒は、はっきりいってきらいで飲みません。でも日本のビールは高いですよね、1990年当時の話ですがドイツでは中瓶1本70-150円くらいで買えましたから。あとあまり冷やさなくてもおいしかったので、冷蔵庫が小さかったこともあり常温でそのまま飲んでいました。南ドイツのはどちらかというと甘めで、北ド
イツのはドライなタイプが多かったような気がします。日本でもレーベンブロイ、ヘニンガーやベックス等のブランドを見かけることがあり、たまに買ってきます。ドイツにはそれぞれの町ごとに醸造所があり、それこそどこに行っても地ビールを飲めました。レストランでまずEin
Pils bitte!といっておけばビールが来るので、その間にメニューをみることができます。
最近はCO2ガスを使ってクリーミーな泡ができるK社のサーバーを買って時々楽しんでいます。ただそのサーバーのうたい文句に、「飲み残しはそのまま冷蔵庫でおいしく保存できます」とあるのに一度も保存したことがないのはなぜでしょう?(笑)。
(4/19に5.5kgを釣ってしまった! こんなサイズはもう死ぬまで釣れないでしょう)
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趣味の話 7 (2006.04.13)
10代の頃からカメラはいじっていました。我が家には一眼レフがなかったので、高校の頃はリッチな後輩N氏のペンタックスSPを貸してもらっていました。大学合格のお祝いに自分の一眼レフを買えることになり、市大に合格が決まった後の2期校の試験の日にその足で新宿のYカメラに行って買ってきました(その試験に落ちたのはいうまでもありません)。鉄道写真の場合にはシャッター優先の方が扱いやすく、キャノンAE1の人気が高かったですが、私が買ったのはニコンEL2で、名機といわれたニコマートELの後継機種でした。縦走りフォーカルプレーンシャッター、絞り優先オート機能のものでしたが、露出計を見ながらシャッター優先のようにして使っていました。当時はズームレンズの性能がいまいちで、単焦点のレンズでした。後に28mm、105mm、200mmと揃え、標準の50mmとあわせて使っていました。途中でニコンFEという実質ニコンEL2の後継機も買ったのでボディ2台レンズ4本、さらに三脚まで担いであちこち出掛けました。その装備で当時は駅から何キロも歩いていましたからパワフルだったなあと改めて思います(笑)。
当時の写真を整理してみるとかなりピンあまや手ブレに難のあるものがあり、へたくそでした。その後は一時鉄道から離れた生活になり、カメラは旅行に行ったときや友人の披露宴で活躍するくらいでした。ここ数年でまた列車の撮影をするようになり、今度はニコンF90を買いました。レンズも新調しズーム、オ
ートフォーカスになり、レンズの性能が上がったこともあり手ぶれさえ気を付ければピントはカメラ任せの方がかえって正確で、撮影がずいぶんと楽になりました(今は手ぶれ補正機能付レンズもありますしね)。昨年とうとうニコンD70sを買い、いよいよフィルムカメラを卒業です。昔はリバーサルで撮りためていましたがPCで見ることが増えてきたし、なにより整理が楽になりました。(写真の好きな友人M氏はまだフィルムカメラにこだわっているようですが、私は切り替えてしまいました)
ただ私が買ったモデルEL2、FE、(これはFE2として寿命は長かった)、F90はいずれもモデルの寿命が短かったので、現役のD70sには長生きしてもらいたいものです。
(写真は4/1に撮った菜の花と桜と小湊鉄道です)
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ケミカルピーリング (2006.04.06)
ニキビの治療の一つにケミカルピーリングがあります。ケミカルピーリング自体はいろいろな種類があり、美容の世界では皮膚の若返り、シワ取りなどにも行われていますが、うちでやっているのはグリコール酸を用いたもので、皮膚表面の角層を除去して主にニキビの治療に行っています。角層を除去することによりニキビの内容物が出やすくなり、また角層内のくすみも取れる?といわれています。個人的には4年くらい前から試験的にやっていて、やりかた、効果を検証してきましたが、あまり効かない人もいた一方で抗生剤を飲まなくても同じくらい良い状態になる人もいました。皮膚科医の中ではニキビに対するケミカルピーリングの治療効果は十分認知されていますが、現在では保険がきかないので自費になってしまいます。自分自身あまり商売上手ではないので最初からすすめることはしませんが、まず通常の薬剤を使って治療してみて、次の段階の選択肢として位置づけています。
やり方は簡単で終わってすぐにお化粧もできますが、稀に強い刺激反応を呈してしまうこともあるので、やり方、普段の注意点などをよく説明してから特に初回は薄い濃度のものから開始しています。また角層というのは常に再生して補われていくので、1回だけの治療では不十分で2週から4週間に1度くらいの頻度で継続していく必要があります。
そんなわけでPRは控えめにしかしていませんが、関心のある方はまずは普通に受診してみてください。うまくいけばお肌すべすべになれるかもしれませんよ??
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面接 (2006.03.30)
人を選んで採用するというのは、これから一緒に仕事をする相手を選ぶので楽しくもあり、また残りの人を落とさなければいけないのでいやな仕事でもあります。皆さん応募するときは、普通は募集要項をよく読んで集合時間をきっちり守って、職種にふさわしいような適切な身だしなみで、というのが常識だと思います。勿論その通りなのですが、私は例外を3人経験しました。1:医局長だった頃大学で秘書さんを募集したときのこと、地域の情報紙に広告を出して、履歴書を送っていついつ面接と書いておいたのに、翌日履歴書を持って病院に来たお嬢さんがいました。こちらも外来が始まる前でここで話を聞くこともできないし、とにかくその場はお引き取り願いました。業務時間中に来られても困るしこちらの都合も考えて欲しいよなあと初めはかなりマイナス査定だったのですが、最終選考で決まったのはその彼女でした。勿論これは経歴や面接での評価が高かったからです。2:おなじく大学で秘書募集の時のこと、期日に遅れて到着した履歴書があり、時間に遅れるルースな性格は困ったもんだと思っていたら、面接での評価が高く採用!となりました。このお二方は最初の評価こそいまいちでしたが、中身はすばらしい人達で採用したのは正解だったと思っています。大学を離れた今でも時々連絡しています。3:某クリニックでの事務員募集の時のこと、天候が悪かったこともあり会場がわからず大幅に遅刻した1人がいましたが、応対の仕方などの評価が高く採用!となったそうです。皆さん、面接の時は少しくらい失敗しても誠実さや性格など中身で勝負ですよ!
でもこれらはあくまで例外であって、奇抜な恰好や性格で選に漏れた人はたくさんいますので、金沢皮膚科の募集の時は人と違ったことをやろう、などと誤解しないでね(笑)。
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アトピーと食物 (2006.03.23)
アトピー性皮膚炎の診療でよく聞かれるのが「卵はひかえた方が良いですか?」というような食物アレルギーに関する質問です。これには明快な回答はなく、医師の間でも微妙に意見の相違があるのであくまで私見ではありますが、「食物アレルギーはアトピー性皮膚炎の悪化因子の一つであって、すべての患者に関与しているわけではない」であります。多くは消化管の発達が未熟な乳児期であり成人では稀ですし、赤ちゃんの場合でも検査で陽性だから食べられないかというとそうでもなく、食べて全然問題ない人もいます。極端な食物制限は体や脳の発達に影響を及ぼすこともあるので、やみくもに除去するのではなく栄養の点を考えながら、本当に悪くなるものだけを除去しなければなりません。血液検査や皮膚テストの結果よりも実生活の中で食べるといつも症状が出る、という因果関係を重視した方がいいです。また食べて症状が悪くなる人でも、成長とともに食べられるようになる人が大部分なので、主治医と相談して必要なものだけを除去して、症状や年齢をみながら解除できるよう試みていくのが良いと思います。
成人の場合には以前書きましたが、OASといって野菜果物を食べて口腔内の症状が出るタイプのアレルギーが結構あります。また最近はナッツ類でのアナフィラキシーなども報告されていますし、食物+運動(+痛み止め)の組み合わせで症状が出るタイプもあります。これらの症状に心当たりのある人は、検査をすると原因がはっきりわかる場合もありますし、アレルギーの専門家なら相談に乗ってくれると思います。
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イチゴ狩り (2006.03.16)
イチゴに限らず果物の「○○狩り」は好きです。小さい頃の川崎?多摩?のナシ狩りに始まり、みかん、イチゴ、サクランボ、ぶどう等いろいろ行きましたが、一番はやはりイチゴ狩りです。久能山、津久井浜、館山、三島など何カ所も行きました。ドイツでも温室でない地物のイチゴを摘んだことがあります(これは日本の観光イチゴ狩りとはちょっと違うのですが)。
初めて行ったのは大学生になってからでしたが、ちょうどラジオでイチゴ農家のおばさんが「たくさん食べる人は100個くらい食べますねえ」と言ってるのを聞いて、100個を目標に臨みました。が初めの10分ですぐに達成してしまい、一番多いときには200個以上は食べていたと思います。右手で食べながら左手で次のを摘んで、さらに目でその次のを探している、という3拍子で食べ進んで行きました。同じようにがつがつ食べる仲間(Y氏、S氏ら)と行ったときには、後から入ってきた別の家族が「お母さん、ここ赤いイチゴ全然ないよ〜」といっているのを耳にしたくらいです。でも調子に乗って食べ過ぎると水分過剰になり、しょっちゅうトイレに行く羽目になります(笑)。何でも最近は大きくて糖度の高いアイベリー狩りもあるそうでちょっと興味がありますがこれはまだ経験していません。
あと2,3回しか行ったことがありませんが、山形、山梨でのサクランボ狩りも楽しくておいしかったです。
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スギによる皮膚炎 (2006.03.09)
昨年は花粉の飛散量が多くて大変だった人も多かったと思います。自分も昨年は3月頃眼にきてしまい、飛散ではなく悲惨でした。今年はスギ花粉の飛散はあまり多くないようで一安心です。
さて花粉症というと眼や鼻の症状を思い浮かべますが、皮膚炎も悪化することがあります。この時期外出すると、主に花粉が付着しやすい顔面に湿疹が出る人がいます。相模原病院にいた頃研究センターの先生に頼んでスギ花粉軟膏を作って頂き(マヨネーズみたいな黄色い軟膏でした)、パッチテストをすると陽性になる(=花粉に対して接触アレルギーを持っている)事を確認しましたし、実際に外出したあと皮膚表面にセロテープを貼り付けて特殊な染色液で染めてみると、スギ花粉が付いているのを直接確認することもできます。
治療は顔面なのであまり強いステロイドは使えませんから、弱めのステロイドやタクロリムス軟膏の外用となりますが、予防としては花粉の飛散しやすい日、時間帯の外出を控える、外出から帰ったら早めに洗顔して付着している花粉を落とすことでしょう。関東ではだいたい2月から4月頃までがスギ花粉の時期ですが、スギに反応する人は近縁のヒノキにも反応することがあり、これはスギにやや遅れて飛散しますので5月頃までは注意が必要です。
追伸:ホームページリニューアルに伴い、フォントを代えたりブラウザでの文字サイズの変更によるレイアウトのずれをなくしたりしましたが、HP作りはまだまだ勉強中です。
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パソコンと私 3 (2006.03.02)
AT互換機は各パーツの交換が簡単なので改造が可能です。私はゲーマーではないので関係なかったのですが、この世界ではゲームソフトが要求するマシンのスペックが非常に高く、特に画像処理の分野での高速化がものすごいスピードで進んでいました。雑誌をみているうちに改造の虫がうずき始め、ビデオカードは当時速いといわれていたS3社の○○(名前忘れた)にしてHDDを増設して、とやっているうちに、なんだこれなら自分で作ってしまおうとマシンの自作が始まりました。自作といってもパーツをスロットに差してIRQなどを設定するだけなのでそんなに難しいものではありません。で音源はサンブラでSCSIカードはAdaptecの1543で、などと秋葉原に行っては部品を買い込んでいました。自作マシンを立ち上げて初めてc:\マークが見えたときは結構感動しました。この頃になると「作る」行為自体に楽しみを見つけていたようです。部品単位で交換すれば速いマシンになるのは確かなのですが、ビデオカードの例でいえばスロットの形状だけでもISAからVLバス、それがPCI、今はAGPとどんどん変わっており、結局マザーボードから換装しないといけなくなるのでどんどん部品がたまり、余った部品でマシン1台組めるくらいになっていました(笑)
そんな頃Windows95が出ることになりました。完全マルチタスクを実現した32bitOSという触れ込みで、不安定だった3.1とは比べものにならないほど安定して快適とのこと。前評判が高かったせいか発売前のbeta版をネットで手に入れるのに一苦労、パソコン通信で申し込むのに電話回線がずっと話し中で、外勤先に遅刻しながらなんとかgetすることができ、正式発売前から使っていました。Win95はまだDOSの上に乗ったOSなので本当の32bitOSではありませんが、3.1に比べてずいぶんと使い勝手が良くなりました。その後OSは改良が加えられPCはとても身近なものとなりました。今はDOSと違ってもうOSをいじることはできませんが、ハードウェアのトラブル処理には昔の知識が役に立っています。なにしろ何百万円も使っていますからね(笑)。
今までのパソコン関連の話は記憶を頼りに独断と偏見で書いています。誤りがあったらお許しください。
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標榜科 (2006.02.23)
「今度引っ越すので引っ越し先でどこの病院を受診したらいいでしょう?」と質問されることがあります。どうやって皮膚科医を探したらいいでしょう?
今の日本のシステムでは医師であれば基本的には何科の看板を出しても良いことになっています。例えば私が明日から内科、産婦人科、精神科を標榜しても法的には全然問題がないのです。ところで町で「○○内科小児科外科産婦人科皮膚科泌尿器科」という看板があったとすると、一般の人は「あの先生は何でもみれるマルチな先生なんだ」という印象を持つようですが、私だったら逆に「この先生の本当の専門は何だろう?」と考えてしまいます。
あくまで一般論ですが、皮膚病の専門家を見極めるポイントは、(1)大きな病院の皮膚科:病院は専門科が分かれているので皮膚科には皮膚病の専門家がいる。常勤の皮膚科部長は後述する皮膚科専門医のことがほとんど。(2)皮膚科だけを看板に出している医院:私たちのようにずっと皮膚科だけを勉強してきた者は、皮膚科だけの看板で勝負する傾向がある。(3)皮膚科学会認定皮膚科専門医を持っている:これは皮膚科医としてしかるべき施設で数年以上トレーニングを受けて、かつ試験に合格した者しか名乗ることができない。専門医は日本皮膚科学会のHP上で公開されている。などでしょうか?
ですが県内の超有名名誉教授は実は専門医取っていなかった、などこれだけでは物差しにはなりません。本当の専門が何にせよいいDrはたくさんいますので、周りの人の評判とか、実際に受診してみてどんな診察スタイルなのかを見て判断する方がいいと思います。あとネットの掲示板の書き込みは主観による評価なのであてにしない方がいいです。
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パソコンと私 2 (2006.02.16)
初代のパソコンは白黒液晶のノート型でした。DOSのVer3くらいだったかと思いますが、液晶の反応が遅くカーソルの速い動きに追随できなくて残像が残ってしまい、あまり使いよいものとはいえませんでした。尤もキーボードからの入力がほとんどでマウスを使うことはあまりありませんでした。それでもカラーの画面が欲しくてN社のTFTカラー液晶を搭載したノート型を買ってしまいました。当時TFT液晶モデルは高級品で確か60万円くらいしたと思います。買うのに勇気がいりましたが、実際使ってみるとマウスがすいすい動くので気持ちよかったのを覚えています(今はカラー液晶ずいぶん安くなりましたよね)。
当時(たぶん今でも)医者の間ではアップル社のM信仰があって、Mコンピューターを持っているのができる医者なんだぜ!みたいな風潮がありました。自分はなんかその空気に付いていけず、また世界規模でみればAT互換機のほうが主流で技術革新も速いこと、日本でもDOS/Vを使えば世界中で使われているマシンを日本語環境で使えることを知り、ASTリサーチ社の486/33MHzのデスクトップを買いました。N社の98シリーズは日本語を表示するための機能をハード的に処理していましたが、DOS/Vの場合にはソフトで処理するわけでその分どうしても処理速度が遅くなってしまいますが、ハードウエアの進歩が速いから、そのうちに差がなくなるだろうと思っていました(2,3年後には本当にそうなりました)。
DOSの世界では640KBの壁というのがあり、日本語処理のためのFONT.SYSやDISPLAY.SYSを組みこむとメインメモリーが足らなくなってしまいます。そのためにQEMMを買ってメインメモリーを広げる努力に燃えたりしました。CONFIG.SYSやAUTOEXEC.BATを書き換えて何度も何度も再起動をかけて気が付いたら朝になっていた、なんて事もよくありました。その後マシンの自作、Windows95の時代になっていきました。
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パソコンと私 1 (2006.02.09)
1980年代の後半から職場にワープロ機が導入されるようになり、それまで手書きで作っていた様々な文書が誰が作ってもきれいに仕上がるようになりました。当時は今のようなフォントなどなく、文字を大きくするには倍角や4倍角などしてギザギザの文字だったのですが、手書きに比べて遙かにきれいに文書が作れるようになり喜んだものでした(自分の字が汚かったということもあった)。その後いわゆるパソコンが職場におかれるようになりましたが(当時は国産のN社の独壇場だった)、まだ5インチのフロッピーで1枚目のディスクドライブに一太郎のシステムファイルを入れ、2枚目にデータの入ったディスクを入れてガッチャンガッチャンと読み込んでいました。5インチのフロッピーはカバーがとても薄かったので、ディスクのラベルにボールペンで自分の名前を書いたら筆圧の強さでせっかく作ったデータが一発で読めなくなった、なんて事もありました。その後パソコンはどんどん小さく速くなり、1990年に留学から帰ってきた頃には医者仲間の間ではパソコンは結構パーソナルなものになっていました。論文を書くためのワープロとして以外にも、Lotus1-2-3などを使って研究データの整理、処理、プレゼンテーションに、あるいは住所録管理などにも使えたからです。ラップトップ、ノート型も出ており、フロッピーも3.5インチタイプにシフトして、自分も出遅れまいと早速1台購入しました。確か98互換のE社のノート型で白黒の液晶でCPUはインテルの286位だったかと思います。
これで患者データなどを入れたり、実験結果などを処理すると、今まで手書き計算でやっていたものが瞬時に結果が出たり、検索があっという間に終わってしまい感動した覚えがあります。今思えばプアな処理速度でしたが、原始人が初めて火を使えるようになったくらい画期的なことのように当時は感じました。その後どんどんパソコン(いじり)にはまっていくのですが、続きは後日。
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おむつかぶれ? (2006.02.02)
最近の紙おむつは吸水性能が良くなっていますが、それでも便や尿が長時間皮膚に触れていると刺激になりますので、おむつかぶれの予防にはまず頻回に交換することが重要です。ところでおむつかぶれができてしまった場合にはカンジダ症も疑わなければなりません。カンジダというのは真菌(カビ)の一種で、元々ヒトの消化管に常在しているものです。それが皮膚で繁殖して病変を作ると赤くなったり丘疹膿疱(ブツブツ)や薄く皮膚がむけたりします。健康な女性の陰部にできることもあるので婦人科などで名前を聞いたことがあるかもしれません。カビですので温度が高くて湿度の高いところが大好きです。おむつで覆われてしかも尿や便で湿った状態は、カンジダにとって恰好の繁殖場所になるわけです。さらに抗生剤を使って一般細菌を減らしてしまったり(健康なときにはいろいろな常在菌がバランス良く共存している状態だったのがくずれてしまう)、かぶれだと思ってステロイドの外用をしたりするともう最高の住み心地です。
我々はカンジダを疑った場合には表面の皮膚を取って顕微鏡で見てカンジダが増えているかを検査します。よく「培養で陽性だからカンジダだ」といわれることがありますが、常在菌は培養すれば検出されることはあり得るので、顕微鏡で「確かにここで増殖している」というのを直接確認するのが正しい診断の仕方です。おむつ部のカンジダの場合には外用剤で比較的簡単に治りますが、再発しやすい人もいます。おむつかぶれで安易にステロイドを使うとカンジダを育ててしまうこともあるので、皮膚科で正しく診断してから治療した方が良いと思います。
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しもやけ (2006.01.26)
「たきび」でしたか、♪垣根の垣根の曲がり角♪で始まる歌の中に「しもやけおててがもう痒い」というフレーズがありましたが、私が子供の頃は冬になるとよくしもやけになったものですが、最近は減りましたねえ。暖房が発達してしかも洗面所では常時温水が出るようになったし、何より外で遊ばなくなったのかな?
しもやけは凍瘡(とうそう)といい、通常は子供に多くみられ指先や耳たぶなど体の末梢(心臓から遠いところ)部位が低温にさらされることによって起こる皮膚の病変です。指全体が赤く腫れたり水疱ができたりします。しもやけになりやすい人は予防が重要です。暖かくして低温にさらされないようにするのが一番で、冷たい水に濡れたらすぐにふいて乾かすなど冷やさない生活習慣に努めることです。なってしまったらマッサージしたり血流をよくする塗り薬や飲み薬(ビタミンEやヘパリン類似物質など)を使いますが、水疱のところをマッサージすれば破れてぐちゃぐちゃになってしまうので、そこはこすってはいけません。成長とともにあまりならなくなってきますが、成人でしもやけができやすい人は、全身性エリテマトーデスという膠原病や、あるいは多型滲出性紅斑、サルコイドーシスなど別の病気のこともあります。
一方凍傷(とうしょう)は冬山で遭難したときなどにみられる皮膚の損傷で、より低温に長時間暴露されるため、深部まで損傷を受けると壊死になり指の切断などの処置が必要になる病気です。
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趣味の話 6 (2006.01.19)
しばらく海に出ていないので仕掛けなど作りながら昨年を振り返っています。去年はまず1/3に下田から初釣り。この時は人数オーバーで予約した船に乗れないなどとすったもんだがあり、やっとの事で別の船に乗船できたのですが本命は釣れず外道のみ。4月にはアジ釣りに行きスソ、さらに防波堤からのアオリイカに行き大波をかぶったりと、春先はあまりいい釣りをしていませんでした。もっともこのころは開院準備のためいろいろな打ち合わせがあり、今より出掛けられなかったというのもありました。開業後初めての釣りは外房のイサキで、この時は45匹くらい釣れ久々にクーラー満タンを経験しました。で運がむいたかというとそうでもなく夏の間もタチウオ1本とか、マダイ船中丸ボーズなどあまりいい思いをしていませんでした。10月から11月にかけてはオニカサゴとイナダ中心でしたがこの2種はなかなかよく、イナダ16本でクーラーに入りきらなかったり、良型オニカサゴを行きつけの寿司屋に持って行き握ってもらったり、と堪能することができました。初めてヒラメを釣ることもできました。でもマダイは釣れても小さいものばかりで、年末最後の釣りはやっぱり貧果でまだまだ修行が足りないようです。
昨年末に遊漁船と漁船の衝突、死亡事故がありました。そこは行ったことのある船宿だし、事故を起こした場所もいつも船で通っている場所なのでちょっと複雑な気分です。遊びにせよ仕事にせよまずは安全第一で楽しみたいものです。
さあ、今年は何が釣れるかな!?

昨年の釣果 イサキとオニカサゴです。
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帯状疱疹 (2006.01.12)
皮膚科の病気はかゆいものが多いですが、これは痛い皮膚病の代表でしょう。原因はみずぼうそうのウィルスですが、こどものころやったみずぼうそうが治った後神経の根元にひそんでいて、それが体調不良、高齢化などによりウィルスの活動を押さえる力が弱くなると出てくるのです。ですから誰かからうつされたというよりも、自分の中にひそんでいたものが表面に出てきたということです。胸や腹ならば左右どちらかに横に帯状に出ますし、腕、足ならば縦に配列します。顔ならば片側のおでこというように、神経の走行に沿って症状が出ます。また発疹が出る前からぴりぴり痛いことがあるので、初め肋間神経痛と思い整形外科にかかり、痛み止めの湿布をもらって貼ったらかぶれたといって皮膚科に来たら帯状疱疹だった、というのがよくあるパターンです。特徴的な症状から診断は比較的簡単ですが、怪しいときは水疱をこすって顕微鏡で見るとよりはっきりします。症状が強いときは入院して抗ウィルス薬の点滴が必要になりますが、軽い場合には外来で内服薬でも治療できます。この薬は腎臓が弱っていると副作用が出やすいので、特に高齢者の場合には注意が必要です。治った後も神経痛が続く場合があります。大体は2,3ヶ月後には良くなっていきますが、以前診ていた患者さんはそれこそ10年前の帯状疱疹のあとが痛むんですといって通院していました。早めに治療を開始した方が痛みの後遺症も軽いと思われますので、あれっ?と思ったら早めに受診を!
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患者様 (2006.01.05)
新年明けましておめでとうございます。今年は1/2から北京に行っていたのであまり正月気分に浸っていないうちに仕事始めになってしまいます。
さて医療もサービス業、サービスの質を問われる時代になってきました。かれこれ10年くらい前からでしょうか、病院内で「患者さん」から「患者様」と、「様」付けで呼ぶ動きがあります。医師はとかく偉そうに振る舞うので、病院に来ていただいた患者様をもっと丁寧に扱おう、ということのあらわれなんですが、どうもなじめませんでした。相模原時代も事務の窓口職員や看護師はみな様付けで呼ぶようになりました。我々に対しては強要はされませんでしたが、なんとなくそのような動きがありました。
ただ、これに対しての患者側の反応は賛否両論で、様付けで大切に扱われたという肯定派と、医師にへりくだられてかえって言いたいことがいえなくなった、という否定派、さらには言葉だけ様付けでもそっぽを向いて顔も合わせないような言い方で、心がこもってなければ全然意味がないという意見まであります。私は「丁寧にはみるけれど別にへりくだる必要はない」との信念で、まだ様付けにはしません。普段通りの態度で丁寧に診療すれば、別に自分が偉いわけでもなく、相手を殊更にうやまう必要もないのでは?と思っています。勿論「やまい」を持った人ですからお大事に、という気持ちは常に必要ですが。
今はまだガラガラですが、混んできたら今度は「お待たせしました」を付け加えねばなりません。これはまだ当分先かな?
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